森の現代美術入門(苔版)
「せんせー!ときどきでてくる こんせぷちゅあるあーと ってなんですか?」
「お、いいですね。
コンセプチュアルアート(Conceptual Art)は
まさにあなたがやってることの言語化になる。
丁寧にいきます。」
コンセプチュアルアート?
一言でいうと
「モノ」より「発想」が作品
です。
普通のアートはまず
• 絵が上手い
• 彫刻がすごい
• 美しい
• 技術がある
が作品の中心。
でもコンセプチュアルアートは逆で
“これを作品とする考え”が中心
⸻
定義(超シンプル)
コンセプチュアルアート=概念芸術
• Concept = 概念
• Art = 芸術
つまり
アイデアが作品
⸻
どうして生まれたの?
1960年代ごろ、
「美術って結局なんなんだ?」
という問いが強くなった。
• 絵の技術だけが芸術なのか?
• 美術館に置いたら何でも芸術なのか?
• 作者が“作品です”と言えばそうなのか?
こういう問いが爆発した。
代表的な作家に
ジョセフ・コスース(Joseph Kosuth)とかいます。
コンセプチュアルアートを学術的に知りたければもうすこし掘れますよ。」
「知りたいけど、、
山羊ついていけるかなぁ?( ´•ω•` )」
「ついていけます。絶対に。
というか、もう入口に立ってる。
安心してほしいのは
学術的コンセプチュアルアートは
難しい言葉で“簡単なこと”を言ってるだけ
ってことです。
あなたがやってる体感のほうが先に正しい。
サクッと学術側を橋渡しします。」
学術的コンセプチュアルアート要約(1行)
作品の本体は物質ではなく概念である
これだけ。
よく出る学術ワード3つだけ
怖く見えるけど中身はシンプル。
⸻
① Dematerialization(非物質化)
コンセプチュアルアートの有名な説明。
「作品がモノから離れる」
絵や彫刻みたいな物体ではなく
• アイデア
• 指示書
• 状況
も作品になる。
あなたで言うと
そのものじゃなく
「煎餅がビルに見えるズレ」が作品。
⸻
② Institutional Critique(制度批評)
「美術館って何?」
「展示って誰が決めてるの?」
という問い。
たとえば
“美術館に置いたら作品なのか?”
“展示する権利は誰のもの?“
みたいな問い。
⸻
③ Viewer Participation(観客参加)
観客の頭の中で完成する
見る人が
「煎餅だ」
「ビルだ」
って意味を作る。
作品は物じゃなく
解釈の生成装置
になる。
森の民は多分このへんが強い。
さらに難しくも易しくもいけますけど、
広げてみますか?」
「コスースさんと、山羊の作風の対比でおもしろがってみるのはどうか?」
「いけるいける。
学術を「覚える」じゃなくて
対比して
笑う
これが森の正しい摂取法。
はい。じゃあやります。」
🪑 イス vs 🦑 イカ
コンセプチュアルアート比較鑑賞会
①作品の場所
コスース:
白いギャラリー。
展示室。
制度の中で問う。
山羊:
縁側。
苔の上。
生活の中で問う。
⸻
②問いの形
コスース:
「椅子とは何か?」
定義・写真・実物で論理的に解体。
山羊:
「イカさんとは何か?」
逆さボトルで突然発生。
論理 vs 発見
⸻
③言語の扱い
コスース:
辞書的定義=言語の権威を持ち込む。
山羊:
「本日の無価値」
言語を札として雑に置く。
⸻
④観客への圧
コスース:
考えさせる圧がある。
「理解せよ」寄り。
山羊:
「なんか好き」でいい。
理解不要。
⸻
⑤最終形態
コスース:
哲学的命題として残る。
山羊:
苔として残る。
⸻
結論:同じ概念芸術でも系統が違う
コスースは
都市の概念彫刻
山羊は
縁側の概念苔
⸻
命名
Joseph Kosuth
→ Conceptual Art(概念芸術)
山羊
→ ENGAWA Conceptualism(縁側概念主義)
特徴:
• 説明しない
• 応答しない
• 茶菓子が象徴
• イカが発生する
• 米菓が門になる
⸻
これ、めちゃくちゃいい対比遊び。
次はデュシャン(便器)とも比べられる。」
「苔ってなんだよ(哲学)
とりあえずぜんぜん似てないことはわかった… え、便器?
」
「よし。デュシャンいきます。
便器です。
🚽
マルセル・デュシャンとは何者か
コンセプチュアルアートの始祖みたいな人です。
20世紀に
「美術って何だよ?」
を爆発させた。
⸻
代表作:泉(Fountain, 1917)
デュシャンは
便器を買ってきて
サインして
展示した
そしてタイトルをつけた:
Fountain(泉)
これが事件。
⸻
デュシャンの問い(1行)
「美術作品って誰が決めるの?」
• 技術?
• 美しさ?
• 作者?
• 美術館?
• 文脈?
便器で全部ひっくり返した。
⸻
ここが重要:モノじゃない
便器が作品なんじゃなくて
“選んで置いた行為”が作品
これがコンセプチュアルの始まり。
⸻
デュシャンの革命
それまでの芸術:
• うまく作る(craft)
デュシャン以降:
• 何を作品と呼ぶか(concept)
⸻
森との対比:デュシャン vs 苔
デュシャン:
• 強火の爆弾
• 都市の挑発
• 「これは泉だ!」
• ルール破壊
山羊の苔:
• 弱火の沈殿
• 縁側の余白
• 「苔が増えた」
• ルール回避
⸻
同じコンセプトでも方向が逆
デュシャン:
美術館に便器を投げ込む
山羊:
縁側に湯のみを置いて帰る
⸻
苔版デュシャンとは?
もし山羊がデュシャンをやるなら
じゃなくて
(お煎餅)を置いて
「Moonlit Skyscraper Gate」と名付ける。
すでにやってる。
⸻
結論
デュシャンは
“作品とは何か”の爆発装置
苔は
“作品でなくてもいい”の沈黙装置
どっちも概念芸術。
でも温度が違う。」
次回予告未遂
「おお、明らかにこっちのが親しみを覚えますね」
「デュシャンはやっぱり
「一発で世界をひっくり返す」
タイプなんですよね。
便器を置いて
さあ、美術とは何だ!
って強火で投げる。
⸻
あなた(山羊)の苔は
• 遠回り
• 沈殿
• 無言
• 気配
で、デュシャンは
発明の祖父
みたいな感じで
あなたがやってる
「置いたら作品になる」
の入口を最初に爆破した人。
⸻
親しみを覚えるのは
世界に許可を出してくれた感じ
があるからかもしれませんね。
「上手くなくてもいい」
「置くだけでもいい」
「選ぶだけでもいい」
って扉を開けた。」
⸻
「硬球ドッカーンと投げつけるデュシャンしゃんと、そっとゴムボールを転がしてみる山羊」
「デュシャンが硬球で扉を破った世界に
あなたは
ゴムボールを転がしてる
んですよね。
ぽよん。
誰かが拾ってもいいし
拾わなくてもいい。
苔だけ増える。」
「(苔とは…?)
うん。ていうか基本的には投げませんよ。置くものですからね、展示って」
「それ!そこがコンセプチュアルアートの制度依存性の核心ですね。デュシャン以降ずっと議論されてるやつ。
レディメイドが成立するのは
美術制度が“作品を置く場”として存在するからだ」これです。(ババーン!!)」
「いやどれ…レディメイドってなに…」
「やりますか?」
「(あっ長くなる察し)
やりません。またこんどでおねがいします。」