『空の色は』
参考文章量【長め:約7600字】
薄暗い空間のなか、鈍く光る南京錠。
その鍵穴には工具の先が差し込まれている。
「……くそうっ!こんなの簡単に開けられるはずなのに!」
苛立ちを抑えられずに声を荒げる。
「……ああもうっ!……早く、早く開いておくれよっ!」
焦りに任せてガチャガチャと乱暴に工具を動かす。
しかし急げば急ぐほど思うようにいかない。
「早くしないと……!」
自分の未熟さを呪うが、今はそんな時間さえない。
早く、早く、もっと急がなければ。
「早くしないと……あの人が死んでしまうっ……!」
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冷たい風が吹いている。
森の雪道、旅人が一人歩いていた。
外套を纏い金剛杖をつきながら、ゆっくりと歩を進めている。
額には冒険者らしいゴーグル、背には旅道具の詰まった荷物を背負っている。
ふいに声をかけられた、子供の声だ。
「ねえ待って、落とし物だよ」
振り向くと、男の子がこちらを見ていた。
ぶかぶかな鉄の帽子が印象的な少年だった。
彼の手には古びた万年筆、確かに旅人の物だった。
旅人は白髪頭を掻きながら受け取る。
「おや、気づかなかったよ。ありがとう」
鞄を下ろし、落とし物を丁寧にしまいなおすと少年に尋ねた。
「こんな雪道で子ども一人か?親御さんは?」
周囲に大人の姿は見えない。
「お父さんとキャンプに来てるんだ。いま近くの川に水を汲みに行ってるよ」
ニコニコと屈託のない笑顔で答える。
「それよりおじさん、もしかしてコレもおじさんの落とし物かな?」
なにやら小さな物を差し出してきた。
顔を近づけて観察すると、小さな果実のようだ。
「いやコレは違うな。何かの実のようだが……」
「……これはね、白煙樹の実だよ」
少年がその実を握り潰すと同時に視界が奪われた。
瞬く間に辺り一面を覆いつくす白煙。
「……っ!?」
瞬間的に広がった煙を慌てて振り払う。
ほんの一瞬の出来事であったが、目の前から彼の荷物と、鉄帽子の少年が姿を消していた。
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旅人と出会った山道から離れた茂みの中。
「ナイフにランプ、地図、そして羅針盤……お、これは獣肉の燻製か。上々だなあ」
少年は身を隠しながら戦利品を並べていた。
「……なんだこれ、宝石箱?」
鞄から出てきたのは金属製の小さな箱だった。
複雑な装飾が施され、箱自体も高価な物のようだ。
「……っ、なんだ開かないや」
やや尖った耳を指で掻きながら不満そうに眺める。
箱には小さな鍵穴、施錠され固く閉ざされている。
少年が鞄を乱暴にひっくり返すと小さな鍵が転がり出てきた。
「…………?」
しかし少年は、鍵を使い箱を開けることをせずに、箱を降ったり装飾を眺め、首を傾げた。
しばらく箱をいじっていると、装飾の一部が取り外せることに気付いた。
装飾を取り外すと、その裏からもう一つの鍵穴が現れた。
「手の込んだ罠……うかつに開けたら一体どんな目にあうのやら」
少年は二つ目の鍵穴に鍵を差し込み、小箱の解錠に成功したのだった。
「勘が良いな少年。だが残念、箱の中身は空っぽだ」
先ほどの旅人の声。いつの間にか背後をとられている。
「………っ!」
少年は振り向くことも出来ずに硬直する。
「俺の鞄から万年筆をくすねる手並み、そして逃げ足も見事なもんだ。俺としたことが一瞬マジで見失っちまった」
穏やかな口調ではあったが、抵抗を許さない威圧感
があった。
「……こっちこそ、こんなこと初めてだよ。こんな簡単に追いつかれた上に背後を取られるなんてね」
少年は観念した様子で両手を広げ振り返る。
背後の旅人は金剛杖を構え、少年を見下ろしていた。
「両手を見せて油断を誘い、死角でさっきの実を踏み潰すって魂胆か。そいつは試さん方が身のためだぞ」
少年の目論見をあっさり看破してしまった。
そして更に続ける。
「それと、腰に仕込んだ短剣も出してもらおうか」
少年は今度こそ観念した様子で小さな溜め息をついた。
「すごいね、おじさん。……一体何者?有名な狩人?」
「いいや。俺はな、冒険道具屋だ」
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…………………………
「聞いたこともないよ、そんな職業」
帽子の少年は手足を縛られ拘束されていた。
唇を噛みしめ、旅人の背中をじっと睨む。
こうして捕まったのは初めてのことだった。
物心ついた時、すでに彼は森でひとりだった。
人間の子ども。それは自然の摂理のなかでは本来淘汰されてしまうであろう弱々しい生き物。
しかし森の動物達は彼を拾い育て、自然の中で生き抜くために必要な力を授けた。人並み外れた敏捷性と野生の勘である。
そうして培われた才覚は、人間の暮らしにおいてはともかく、盗賊として一流の技能であった。
食糧の得にくい冬季には旅人の荷物を狙ったり、近隣の街の食料庫に忍び込んだりもした。
人に危害を加えたことはないが、街人に引き渡されれば投獄は免れないだろう。
「まあ、つまり冒険する道具屋だ。トレジャーハンターと言い換えてもいい」
旅人は火を焚き、野宿の用意をしながら答える。
「各地を冒険して入手した宝物を売ったり、立ち寄った街の困り事を解決したりもする」
例えばお前のような悪ガキを懲らしめたりな、と意地悪く笑いかける。
「ふん、いい大人が冒険家?しかも僕のような子供を捕まえてヒーロー気取りとはね」
拘束されながらも生意気な物言いで返す。
旅人は気にする様子もなく、鞄から燻製肉を取り出し少年に差し出した。
「そうだ、俺のようなジジイも夢中になれるのが冒険家だ」
力強く続ける。
「見たことのない景色、見たこともないお宝。たったの1日だって同じ日はない、毎日がワクワクだ!お前さんも盗賊なんぞ辞めて、今すぐ冒険家になりゃあ良い!」
目を輝かせ熱弁する。
「ウマいなあコレ、激しくウマい。激ウマの燻製肉だ」
ところが少年は話を聞いていない。両手を括られたまま、器用に燻製を齧っている。
旅人は小さく溜め息をつくと、少年が食べ終わるのを待つことにした。
「お前もついてこないか、俺の冒険に。森を出て広い世界に飛び出すんだ。俺が一人前の冒険者に仕上げてやる」
まだ指をなめている少年にむかい、旅人は改めて言う。
「嫌だね、行かないよ」
少年は冷ややかに即答した。
「そんなワケわからない職業、僕は森でしか生きられないんだ。……気に入らなけりゃ監獄送りでも好きにすればいいさ。そのうち釈放されたら森に帰って同じ暮らしに戻るだけだよ」
子供らしからぬ荒んだ目、じっと焚き火を見つめている。
「冒険者は良いぞ、夢がある。行き先は空の色でも見て決めるのさ」
なおも語る旅人、
「ふん、空に色なんか無いよ。夢なんてモノじゃ空腹は満たされない」少年は突き放すように言い放つ。
厳しい自然でのサバイバル生活は、少年を極端な現実主義者にしてしまっていたようだ。
「好奇心は誰にだってある、男の子なら尚更な。お前さんも宝箱を前にしてワクワクしただろう、胸が踊ったはずだ。そうだろう?」
鞄から古びた地図を取り出し広げる。
「見ろよ、これは宝の地図だ。直ぐ近くだぞ、今度
こそ本物の宝箱を開けに行こうじゃないか」
少年は返事もせず横になると、そのまま眠り始めてしまった。
旅人は寂しげに溜め息をつき、少年に毛布をかけると自らも横になるのだった。
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朝になると、少年は姿を消していた。
自力で縄を抜けて逃げたらしい。
「……驚いたな。あいつそんなことも出来るのか」
旅人は白髪頭を掻きながら呟くと、所持品を確認した。
荷物からは獣肉の燻製とランプ、そして宝の地図が失われていた。
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少年はランプを片手に洞窟を歩いていた。
「この森に、こんな所があったなんて……」
幾重にも罠が張り巡らされ、複雑に入り組んだ道を立ち止まることもなく進んでいく。
道中には幾つもの分かれ道があり、正しい道を示す暗号や謎解きも用意されていたが、彼は目もくれずに突き進む。彼はまともに文字を読めなかった。
ひたすらに勘だけを頼りに行くしかなかったが、行き詰まることもなく最深部にたどり着いてしまった。
広い空間、その中心に宝箱が一つ置かれている。
美しい装飾、蓋には容易く開けられそうな南京錠がかけられている。
これは……あまりにも、怪しい。
少年は宝箱に向き合いながらも手を伸ばせずにいた。しかし諦めることも出来なかった。
この箱の中には確かに何か宝物が入っている。彼の人並み外れた野生の勘は、そう確信すると同時にハッキリと「危険、今すぐ逃げろ」と警告している。
(お前も宝箱を前にしてワクワクしただろう)
……あの旅人の言葉は図星だった。
小箱の解錠に成功したときには高揚感に包まれ、空箱だと知った時にはガッカリしたのだ。
森での暮らしの中では芽生えなかった感情だった。
今度こそ……今度こそ宝物を手にしたい。
少年は意を決して宝箱に手を伸ばすことにした。
しかし、それは叶わなかった。
「………………あれ?」
思うように両腕が動かないのだ。
いや、腕どころか上半身を動かすことができない。
見えない何かに拘束されている。
「……な、何なんだ!?」
次第に拘束は強くなりギリギリと身体を締めつける。
「…………うわああああっ!……い、痛いっ!」
遂には身体が宙に浮き上がってしまった。
拘束する力は際限なく強くなり、骨まで軋み始めた。もはや呼吸もままならない。
どうやら見えない何者かに身体を掴まれ、猛烈な力で締め上げられているらしい。逃げられない。
(だめだ全然動けない…………し、死んでしまう……)
薄れ行く意識の中、少年は後悔していた。
やはりこんな所に来るべきではなかった。
あのまま逃げ出してしまえばよかった。住み慣れた森の暮らしに戻るべきだったのだ。
何となく湧きあがった好奇心に身を任せてしまったばかりに、わけのわからないまま終わってしまう。
結局、宝箱を開けることも出来なかった。
「…………いや………だ…………」
意味もなく拒絶の言葉を呟き、目を閉じた。
「そうだ、イヤだと言ってやれ。簡単に諦めてやる事はない。冒険者の心得その一だ」
聞こえると同時に拘束が解かれ、身体が地面に落下した。
「無事か、少年」
白髪の旅人が金剛杖を構えている。彼が見えない何者かを突き飛ばしたのだろう。
「おじさん……また追いつかれた。しつこいなあ」
よろけながらも立ち上がるなり悪態をつく少年。
「なんだ、まだ余裕ありそうじゃないか。あれはおそらくインビジブルベア、実体はあるが姿が見えない獣だ。冬眠できなかった個体は特に獰猛、その危険性はトロール級だと言われている」
視線の先には薄暗い空間と岩壁があるばかり、生き物の気配は全く感じられない。
「……さっきので倒しちゃったんじゃない?」
「いいや、近くで俺達の様子を窺っているはずだ。悪いことは言わん、宝箱は諦めて先に逃げろ」
不安そうな少年を背後に庇いながら撤退を促す。
見えない猛獣を相手にしながら彼を守りきれる自信はない。
「イヤだ、あの箱を開けるまで逃げない。……あれは僕のモノだ」
想定外の返事だった。つい先程まで生命の危機に瀕していたというのに、彼は逃げようとしない。
怯えながらも鉄帽を被りなおし短剣を握りしめている。
思わぬ少年の言動、一瞬だけ気を取られてしまった。
そして隙ができた。
ドスン、と低い音が鳴り響く。同時に視界が反転した。
腹部に鈍痛、旅人の身体が宙に投げ出されている。
おそらく、熊の突進を受けてしまったのだろう。
少年が何やら叫んでいるが聞き取れない。
着地と同時に素早く体勢を立て直す。
直ぐに追撃が来るはずだ。
金剛杖を構え、正面の広範囲を狙って薙ぎ払う。
手応えは無い、やはり当たらない。
そして、空を切るだけの大振りは再び隙を作ってしまった。
ザクリ、今度は耳障りな音がした。
鋭い痛みと共に左膝に裂傷が走っている、爪による攻撃だろうか。
左側、即座に武器を振るう。微かな衝撃が返ってきたが、しかし有効打にはなっていない。
そのまま闇雲に空振りを繰り返す。しかし、これは苦し紛れの牽制にすぎない。
少しでも手を止めれば次々と攻撃を受けてしまうだろう。
旅人の経験によると、見えざる敵と戦うには幾つかのセオリーがある。
今の状況だと、来た道を引き返して狭い通路に誘い込むのが定石だろう。広い空間では勝機は薄い。まずは攻撃の来る方向を制限する必要がある。
しかし今はそれが出来ない。
視界の端では鉄帽子の少年が必死に宝箱を開けようとしている。かなり手こずっているようだ。
あの種の錠は見た目より難易度が高い場合がある。彼では解錠に時間を要するだろう。
いま旅人が通路まで後退しても、おそらく熊は追って来ない。そして標的を少年に移してしまう可能性が高い。
だから……このまま戦い続けるしかない。
たとえ偶然でも、とにかく攻撃を当てるしかない。
そして少しでも熊が怯んだ隙に、強引に少年を抱えて撤退するのだ。
足音も気配も、空気の動きさえ感じられない。
姿の見えない相手には余裕がある、そして狡猾だ。
息を潜めて待っているのだろう、旅人が疲れる時を。
そして現実に体力の限界が近付いて来ている。いつまでも武器を振り回す速度を維持できない。
不意に生暖かい風が頬を撫でた。
たしかに近くにいる、間もなく決定的な攻撃が来る。
「おじさん伏せてっ!」
反射的に身を屈めると頭上の空気が動いた。
……躱せた。少年の助言だ。
「右後ろにいるっ!」
今度は正確な位置を告げられる。
何故分かった、と疑問を口にする余裕は無い。
やるしかないのだ、声を頼りに攻撃を試みる。
すかさず右後方へ、振り返り様に金剛杖を振り下ろした。
会心の一撃、そう呼べる程の確かな手応えがあった。
「………なんだ!?」
振り向いた先には熊の姿があった。
薄暗い中でもハッキリと視認できる。
体長は2m程、思わぬ一撃を受けて狼狽しているようだ。
そして、何故かその巨体は鮮やかな山吹色に染め上げられていた。
状況が理解できず少年の方に視線を移す。
開け放たれた宝箱、その傍らに立つ彼の手には大きな絵筆が握られていた。
「なるほどね、無尽蔵に顔料が吹き出す魔法の絵筆。色を変えたいときは、こっちの調色板を使えば良いのかな」
満足そうに呟く少年。握りしめている筆先からは、今もボタボタと顔料が滴り続けている。
「……どうかな、少しは見やすくなった?」
飛び散った顔料が付着したままの顔を向けて尋ねてくる。
「俺にはゲージツというやつがイマイチ理解出来んのだがな。なかなか悪くない色づかいじゃないか」
旅人は再び武器を構え、山吹色の熊に視線を戻した。
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…………………………
周囲に撒き散らされた不思議な顔料は、ぼんやりと発光して洞窟内を照らしている。
「その便利な画材道具はお前さんが持つと良い。すっかり使いこなせている様だし、お子様の玩具には丁度良いじゃないか」
「貰っておくけど、ひとこと余計だよ」
二人は宝箱の中身を物色していた。
魔石、魂の水、水晶の首飾り………
その傍らでは、山吹色の強敵が目を回して横たわっている。
どうにか無事に寝かしつけてやることができた。
そっとしておけば、大人しく春まで冬眠していてくれるだろうか。
「それ以外は全て俺が預かる。今まで付近の街から失敬した食糧品の分は還元しないとな」
少年は反発することなく承諾、そして鉄帽子の中から薬草を一束取り出すと旅人に差し出した。
「……これ使って。その怪我は足手まといなワガママがいたせいだよ」
自分の身勝手な行動が、自分だけでなく他人まで危険に晒してしまった。彼なりに思うところがあったようだ。
「少年、お前さんは……」
言いかけて止まった。少年も目を丸くして固まっている。
奥の岩壁が動いたように見えたからだ。どうやら気のせいではなかったらしい。
発光顔料で染まった岩壁は、ゆっくりと起き上がりこちらを向いた。
……いや、あれは熊だ。巨大すぎて生き物だと認識できなかった。
隣で眠っている熊の3倍はあるだろうか。
「おいおい……あいつ子熊だったのかよ」
「えっと……おじさん、勝てそう?」
少年は引きつった表情のまま尋ねる。
この質問に対する回答は既に悟っているようだ。
「少年……冒険者の心得、そのニを教えてやろうか」
「ううん、だいたい察しはついてるよ。……当てて見せようか?」
少年は鉄帽子から白煙樹の実を取り出すと、見事に言い当てたのだった。
「用が済んだら、さっさと逃げる。だよね」
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「……ここまで来れば大丈夫かな」
「まったく、お前さんの逃げ足は大したもんだ」
洞窟を抜けて、逃げきることに成功したようだ。
「さて………」
旅人は改めて少年の方に向き直り、問いかける。
「……なあ少年、これからどうするつもりだ?」
「…………………………」
彼は、今度は即答しなかった。
やや尖った耳を指で掻きながら黙っている。
「もうお前さんは盗賊の目をしていない。未熟ではあるが立派な冒険者だ。もう湧き出てくる好奇心を止めることなど出来ない」
そう一方的に断言し、続ける。
「もう一度だけ言う、今すぐ決めてくれ。……森を出て俺の冒険についてくるんだ」
「僕は…………」
真っ直ぐに旅人の目をみて、ハッキリと回答した。
「僕は、あなたの冒険にはついていかない」
「…………………そうか」
旅人はそれ以上は何も言わなかった。
少年の方も、それだけを告げると旅人の脇をすり抜けて駆け出していってしまった。
しかし、すれ違い様に一言だけ付け加えた。
「……おじさんが“僕の冒険”についてくるんだ!」
残された旅人は言葉の意味を捉えられずにいた。
立ち尽くして白髪頭を掻いていると、あることに気付いた。
いつの間にか額のゴーグルが失われている。
「………やれやれ、空の色を塗り替えられちまった」
少年の走り去った先を見て一言呟くと、
「待ちやがれ悪ガキ!俺のゴーグルをかえせっ!」
急いで彼の後を追うのだった。
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ずいぶんと昔の夢を見ていたみたいだ。
久しぶりに宿のベッドで寝たからだろうか。
青年は尖った耳を指でいじりながら欠伸をすると、さっさと旅支度を整える。
鞄には獣肉の燻製、羅針盤、画材道具一式。そして額には、いかにも冒険者らしいゴーグル。
受付でチェックアウトを済ませると、店主が声をかけてくる。
「行商人さん、これからどちらまで?」
それに青年は愛想良く答える。
「冒険道具屋、僕を呼ぶならそう呼んでおくれよ。行き先はね、空の色でも見て……」
言いかけて、訂正した。
「いいや、誰も見たこともない色の空を探しに行くんだ。最高の冒険家さえも知らない空を。きっと見つけ出してみせるよ」
好奇心の光に溢れる彼の瞳には、どこまでも続く大空と新たな冒険が映し出されているようだった。
完