のんびりまったり交流トピ

こんばんは(*‘▽’)こちらに投稿するのは初めてですねφ(…)

工房板にて触れていた【遺伝形質の話】に関するお返事を書いていきますね。

ここを読んでいる方で【なんのこっちゃ(・・?】という方が出てきた時用にに、このお返事の下の文章を引用させてください↓

まずは想創さん、こちらでお話する場を設けて頂けて本当に有難うございますm(_ _)mこちらの文章も楽しく拝読しました♪こちらのようにまとめて保存できるのは本当に助かります(/・ω・)/組合では3日間でログが消えてしまうので、メンタル不全の時にログが溜まるととても焦ってしまいます:(;゙゚’‘ω゚’'):私はセクレタリを主戦場にしていましたが、BBSにオーナー室を開設することにしましたφ(…)さて、本題に入りますね……。

まず、【精神凸物理凹】という想創さんの考え方はとても納得しましたφ(…)想創さんのスタンスが凄くわかりやすく感じます。特にA君の例に関して触れているところが私にとって理解の一助になってとても助かりましたm(_ _)m
この精神物理の凹凸に関しては本当に認知の領域も多々絡むと思うので、私にとってとても興味深いテーマですね。

そして、私のようなASD当事者が【精神凹物理凸】という部分ですが、こちらは共感と疑問が入り混じっています。というのも、私の考えるASDの感覚って【精神凸物理凹】と【精神凹物理凸】を同時に有していと感じるからなんです。特にカサンドラ症候群の部分に関してはASD当事者である私にとっては頭を常に抱える部分でもあります(´;ω;`)ウッ…

私自身のASDに対する見立てがあっているかというと、自信が無い面もありますが、私は【ASD当事者として考えるASDの遺伝形成】に関して今回掘り下げてみようと思います。

念のためこちらも前置きとして書きますね。発達障害の医療検査であるWAISⅣ(DSM-5)で3回診断して全てASD要件を満たして障碍者手帳を有している筋金入りのASDなのですが、正直ASD当事者なのにASDの全貌がつかめていません……。更にはASD論に関しては医療関係者の文献でも特性の見立てがバラツキがあるのが現状です。なので、あくまでも【みぞれという一当事者の見立て】という観点で割り引いて読んで欲しいですね。

想創さんの今回触れているASD像は恐らく「孤立型ASD」と呼ばれる人のことを指すのだと思います。ここから先少し回りくどくて申し訳ないのですが、しばらくASDの説明が入ります(゚_゚;)

医学的なASDの見立ては4区分あって「孤立型/受動型/積極奇異型/尊大型」の4区分に分かれ、孤立型はその中でも最も自閉的とされる人々ですね。正直なことを書くと、この孤立型区分の方は私からしても精神凹物理凸が強めにみえる面があります。

感覚過敏と感覚鈍麻という言葉があるように、ASDは何かしらの物理的感覚に「特筆した体質」を有していることも診断断定の基準の一つですが、私は視覚過敏/聴覚過敏(光と音に敏感)と痛覚鈍麻(出血などの痛みを感じにくい)を有しています。私の場合は「光と音という物理凸/痛覚という物理凹」を有しています。そして、精神面では私の場合はこれまた【怒・哀の凸】と【喜・楽の凹】ではないかなと思います。

これらの【精神の凹凸と物理の凹凸のバランスが極端で、当事者の社会的生活に致命的な困難さを有する人】をASDだと呼ぶと私は思っています。【精神凹物理凸は、ASDの一側面であると同時に、精神凸物理凹に振り切れることもある】と私は思うのですね。

【ASDと定型発達者は認知のベースが違うため、定型発達者の認知する世界と全く違う世界を観ている】ということは意外と知られていないみたいです。私も20代後半になるまで自分が観ている世界が他の大多数の方と違うことを知りませんでした。私が工房板で認知の歪みへの明言を避けたのも、そもそもベースとしての認知が違うので、一括りに認知の歪みについて説明することが難しいからです。

以前にも触れた【解離/タイムスリップ現象/フラッシュバック】などの影響で、しばしば【精神凹物理凸】がデフォルトの人でも【精神凸物理凹】に振り切れることも多々あると思うのですね。特に自身のこだわりに反することや身体的感覚に関する不快感などに関しては物凄く精神的な揺れが強いです。

しかしながら、それを定型発達者の物差しではかったときにわかりやすく出力するかというと別問題になるんです……。むしろ、それをわかりやすく出力することを封印して生きていく人も多いのです。カモフラージュ(別名で「擬態」とも呼ばれます)という集団に溶け込む努力を大多数のASD者は選ぶのですが、ASDの特性を軽減するだけなので、残念ながら不自然さは残りますね。カサンドラ症候群などはこの辺の「話が通じそうで通じない」という面が絡んでいると思いますね。ただ、私も全てのことに対して窓口を開いているわけではないので、その時のその時のこだわりの場所によっては閉鎖的な面も割とあり、あまり人の事をとやかく言えないですけどね(~_~;)

すみません、かなり脱線してしまいました。ここまでの流れから、精神凹物理凸というものはASDあるあるとも思いつつ、それを逆転してくるのがASDでもあるのかな(・・?と私は感じるのです。そして、物理的特性に強く引っ張られつつも、それによって制御できるだけじゃないのがASDの難しさだとも考察しています。

ASDの人は身体感覚と意識が連動していない人も多く(というよりも私がそうなのですが)、思考で考えていることとタイムラグが生じやすいです。これに関してはこれまた長くなるので、一回脇に置きますねm(_ _)m

想創さんのおっしゃる精神凸物理凹によるものと、ASDの特性としての物理凹はまた違うのかなとも感じるのですが、この辺も掘り下げるとまた違った見方を共有できるのではないかとも感じます。なんだか読み返してみて何かを書いているようで何も書いていないように感じてきました:(;゙゚’‘ω゚’'):

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